女性の持っているバッグが一つなんてことはない。

仕事とプライベートでも持つバッグは変わるし、プライベートでも目的によって持つバッグは変わる

バッグは女性にとってアイコンなのだ。

それはきっと全世界変わらない。

他のアイテムより先に目がいくし、持っているバッグからその女性の雰囲気を無意識に連想してしまう

だからこそ、バッグは魅惑的なアイテムだ。そしてだからこそ、バッグを選ぶのは難しい。

特に仕事で使うバッグは、アイコンとしての存在美と使うときの機能性が求められる。

そんな理想のバッグ作りのためにカプチェットヴィオレットが選んだのは、イタリアの小さな街。

ヨーロッパのどこにでもあるような田舎町で、世界中で知られるようなメゾンブランドの精緻で優雅なバッグも作られている。

イタリアでは、そんな街がいくつかある。

そして、いいバッグを作り、またいいバッグをつくる。そんな風にして何十年もの間、過ごしてきた。

高品質なレザーバッグを求める顧客は世界中にいる。だから何十年にも渡ってバッグを作り続けてきた。

しかし、他では作れない逸品を制作している工房もグローバル化という波の影響をまったく受けないでいることはできなくなっている

経済が急激に拡大するアジアの国からメイドインイタリーという名前だけを求め、工場を買収し、低賃金で自国から労働者をもってくる会社もあるときく

イタリア経済はもう何年もよくない状態が続いている。だから資本主義、自由競争の世の中だから仕方のないことかもしれない。

その結果、同じイタリア製とは思えないバッグがイタリアから世界に広まる。

売れば儲かる。そのためのバッグを販売することに否定はしない。だからといって、デザインや素材に妥協したコスパのよいバッグを作ろうとは思わない。

そんなバッグをつくることには身体が拒否反応を示す。そんな職人もまだまだこの街にはいる。

丹念に作りこまれたイタリア製のバッグが、他のバッグとは違うと感じるのは、バッグデザイナーが優れているからだけではない。

レザーや金具、そして、インナーの生地までも優美さを追求し、「何かいい」と思えるフォルムを作る優秀な職人もいるからなのだ。

バッグは膨大な素材と部品によって支えられている。それらすべてが高いレベルで自国にあるのがイタリアの強みだ。

なのに、競争の中で単純にコスト面で勝つことができずに、「安いバッグ」が街角を占拠し、美しいバッグがあらゆるお店からなくなることは、感度の高いバッグ好きな女性にとって大きな損失のはずである。

競争が激しければ、いいものが安く買えるようになるというのはある一面の出来事であり、競争のなかで勝ち残ることができないが、勝ち抜いたバッグよりも人の気持ちを満足させるバッグは、そんなつまらない競争の中で、一部の顧客に惜しまれながら、この世界から姿を消す。それはそれで仕方のないことだろうか?

女性のファッションのアイコンであるバッグに美しさとか、佇まいとかを無視した価格と効率化の競争だけに身を任せていいのだろうか?

ただ、荷物を運ぶだけのバッグは、アイコンとしての存在感もなければ、持っている人を高揚させる何かもないのだ。

バッグを手にしたときの高揚と充実した気持ちを長続きさせるために、バッグは美しく、そして機能的でなければいけない。

そんなバッグの代表が女性の使うビジネスバッグだと思う。

男性のビジネスバッグにあるような機能を持ち合わせながら、女性のコーディネートのアイコンでないといけないビジネスバッグ

そんな理想のバッグにカプチェットヴィオレットは近づいていきたい。